たり、借金の返済期限がさし迫っていたりする。
眠っているような植物の細胞の内部に、ひそかにしかし確実に進行している春の準備を考えるとなんだか恐ろしいような気もする。
四
植物が生物である事はだれでも知っている。しかしそれが「いきもの」である事は通例だれでも忘れている。
ある日私は活動写真で、菊の生長の状況を見せられた事がある。まず映画に現われたのは一つの小さな植木鉢《うえきばち》であった。そのまん中の土が妙に動くと思っていると、すうと二葉が出て来た。それが見るまに大きくなり、その中心から新しい芽が泉のわくようにわき上がり延び上がった。延びるにしたがって茎の周囲に簇生《ぞくせい》した葉は上下左右に奇妙な運動をしている。それはあたかも自意識のある動物が、われわれには不可知なある感情を表わすためにもがいているようにも思われ、あるいはまた充実した生命の歓喜におどっているようにも思われた。やがて茎の頂上にむくむくと一つの団塊が盛り上がったと思うとまたたくまにその頭がばらばらに破れて数十の花弁が花火のように放散した。そして絶大な努力を仕遂げてあえいででもいるように波打ってい
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