てくれ」と言った。ビオルンは斧《おの》をふるってその背を鎚《つち》にして敵の肩を打つとフンドはよろめいて倒れんとした。トールスタイン・クナーレスメドは斧で王を撃って左のひざの上を切り込んだ。……王がよろめき倒れてかたわらの石によりかかり、神の助けを祈っているところへ敵将が来て首と腹を傷つけた。
戦いが終わってトーレ・フンドは王の死骸《しがい》を地上に延ばして上着を掛けた。そして顔の血潮をぬぐって見ると頬《ほお》は紅を帯びて世にも美しい顔ばせに見えた。王の血がフンドの指の間を伝い上って彼の傷へ届いたと思うと、傷は見るまに癒合《ゆごう》して包帯しなくてもよいくらいになった。……王の遺骸はそれから後もさまざまの奇蹟《きせき》を現わすのであった。
私がこのセント・オラーフの最期の顛末《てんまつ》を読んだ日に、偶然にも長女が前日と同じ曲の練習をしていた。そして同じ低音部だけを繰り返し繰り返しさらっていた。その音楽の布《し》いて行く地盤の上に、遠い昔の北国の曠《ひろ》い野の戦いが進行して行った。同じようにはかないうら悲しい心持ちに、今度は何かしら神秘的な気分が加わっているのであった。
忠義な
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