の話は、柳家小《やなぎやこ》さんの落語のごとく、クライスラーのクロイツェルソナタのごとく実に何度となく同じ聴衆の前に繰返されて、そうしてその度ごとに新しくその聴衆を喜ばしたものである。繰返せば繰返すにつれてますますその面白味の深さを加えたものである。この点では論語や聖書も同じことであるのみならず、こういう郷土的色彩の濃厚な怪談やおどけ話の奧の方にはわれらとは切っても切れない祖先の生活や思想で彩られた背景がはっきりと眺められるのであるから、こういう話を繰返し聞かされている間にわれわれの五体の幾億万の細胞の中に潜んでいる祖先の魂が一つ一つ次第次第に呼び覚されて来るのであった。中学時代になってからやっとイソップやグリムやアンデルセンにめぐり合って日本の外に他の世界があること、そこにはわれらとはよほどちがった生活と思想のあることを教えられたのであった。今の子供はコスモポリタンなお伽噺の洪水の波に押流されているようなものである。もしも今の少青年に民族的な精神が欠乏しているとすればその原因の一つとしては西洋お伽噺の食傷も数えられなければならないかもしれない。
重兵衛さんは性的な問題を取扱った話は
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