れだけにおしゃれでもあった。自宅では勉強が出来ないので円行寺橋《えんぎょうじばし》の袂《たもと》にあった老人夫婦の家の静かな座敷を借りて下宿していた。夏のある日の午後、いつものようにそこへ英語を教わりに行った時に、自分には初めての珍しい飲料を飲まされた。コップに一杯の砂糖水をつくって、その上に小さな罎に入った茶褐色の薬液の一滴を垂らすと、それがぱっと拡がって水は乳色に変わった。飲んでみると名状の出来ぬ芳烈な香気が鼻と咽喉《のど》を通じて全身に漲《みなぎ》るのであった。何というものかと聞くと、レモン油《ゆ》というものだと教えられた。今のレモン・エッセンスであったのである。明治十七、八年頃の片田舎の裁判所の書記生にしては実に驚くべきハイカラであったに相違ないのである。ゲーテのライネケフックスの訳本を読んで聞かせてくれたり、十歳未満の自分にミルの経済論、ルソーの民約論を教授してくれるという予告だけでもしてくれた楠さんは、たしかにその時代の新人であり、少なくも自分にとっては、来るべき「約束の国」の先触れをする天使の役をつとめてくれたように思われる。
 自分の一家がいったん東京へ移ってから再び郷里に帰った頃は重兵衛さんの家は宅《うち》のすぐ東隣の邸に移っていた。まもなく重兵衛さんは亡くなってそのうちに息子の楠さんは細君を迎えて新家庭をつくった。新婚後まもないことであったと思う。ある日宅の女中が近所の小母《おば》さん達二、三人と垣根から隣を透見《すきみ》しながら、何かひそひそ話しては忍び笑いに笑いこけているので、自分も好奇心に駆られてちょっと覗いてみると、隣の裏庭には椅子を持出してそれに楠さんが腰をかけている。その傍に立った丸髷《まるまげ》の新婦が甲斐甲斐《かいがい》しく襷掛《たすきが》けをして新郎のために鬚《ひげ》を剃ってやっている光景がちらと眼前に展開した。透見の女性達の眼には、その光景が、何かひどく悪い事でもしている現場を見届けでもしたように、とにかく笑うべく賤しむべきこととして取扱われているらしかった。しかし当時の自分にはその光景がひどく美しく長閑《のどか》なものに思われ、そうして女中等のそういう態度に対して少なからず不満を懐《いだ》いたようであった。
 その後重兵衛さんの一家がどうなったか。これに関する自分の記憶は実に綺麗に拭《ぬぐ》われたように消えてしまっている。た
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