えてくれたようである。それから、冒険というものに対する本能的な興味の最初の小さな焔に点火してくれたとも考えられる。
 この頃活動写真で色々な空中戦の壮烈な光景を見せられる。空の勇士、選《え》りぬきのエースが手馴れの爆撃機を駆って敵地に向かうときの心持には、どこかしら、亀さんが八《や》かましやの隠居《いんきょ》の秘蔵の柿を掠奪に出かけたときの心持の中のある部分に似たものがありはしないか。こんな他愛のないことを考えることもある。それはとにかく、亀さんが鳥人になったらおそらく人並以上の離《はな》れ業《わざ》を演じ得る名操縦士になったことであろう。
 亀さんの妹の丑尾さんとはあまり一緒に遊ぶことがなかったようである。その頃は男の子と女の子が遊んでいると、他の遊び仲間から「おとことおなごとおにやんべ、やんがておややができやんしょ」と云って囃《はや》し立てられるのであった。しかしただ一度ある小春日のわが家の門前で起った些細な出来事だけがはっきり印象に残っている。多分七、八歳くらいの自分と五、六歳くらいの丑尾さんとが門前のたたきの斜面で日向《ひなた》ぼっこをしていた。自分が門柱にもたれてぼんやり前の小川を眺めていたとき丑尾さんが自分の正面に立ってしばらく自分の顔を見詰めていたようであったが、真に突然に、その可愛い両腕を左右にぱっと拡げたと思うといきなり飛びつくようにして、しっかりと自分を抱擁した、そのとき自分がそのままにじっとしていたのか、それとも急いで押しのけたか、それはちっとも記憶していない。ただ覚えているのは、丑尾さんが着古した袖無《そでなし》のちゃんちゃんを着て、頭を小《ちっ》ちゃなおちごに結《ゆ》っていたことと、それから、その日の小春の日影が実にうららかに暖かくのどかであったということだけである。この丑尾さんは、たしか自分の家がその後一時東京に移っていたその二年の間に病死してしまったので、十歳にも満たない本当に果敢《はか》ない存在ではあった。しかし自分の幼年時代の追憶の夢の舞台に登場する唯一の異性のヒロインはこのやや不器量で可哀そうな丑尾さんであったのである。
 重兵衛さんの長男楠次郎さんから自分は英語の手ほどきを教わった。これについては前に書いたことがあるから略する。楠さんは独学で法律を勉強して、後に裁判所の書記に採用された。弟妹とちがって風采もよくてハイカラでまたそ
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