鐘に釁る
寺田寅彦
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)て幸田露伴《こうだろはん》博士
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)10−8[#「−8」は上付き小文字]
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昔シナで鐘を鋳た後にこれに牛羊の鮮血を塗ったことが伝えられている。しかしそれがいかなる意味の作業であったかはたしかにはわからないらしい。この事について幸田露伴《こうだろはん》博士の教えを請うたが、同博士がいろいろシナの書物を渉猟された結果によると釁《ちぬ》るという文字は犠牲の血をもって祭典を挙行するという意味に使われた場合が多いようであるが、しかしとにかく、一書には鐘を鋳た後に羊の血をもってその裂罅《れっか》に塗るという意味に使われているそうである。孟子《もうし》にはそれが牛の血を塗ることになっているのである。
鐘に血を塗るというのは、本来はおそらく犠牲の血によって物を祭り清めるという宗教的の意義しかなかったのであろうが、しかし特に鐘の割れ目に塗るということがあったとすると、それは何かしら割れ目のために生じた鐘の欠点を補正するという意味があったのではないかと疑わせる。そうしないと特に割れ目に塗るという言葉が無意味になってしまうのである。
もし空想をたくましゅうすることを許されれば、最初は宗教的儀式としてやっていた事が偶然鐘の音に対してある有利な効果のある事を発見し、次いでそれが鋳物の裂罅から来る音響学的欠点を修正するためだということに考え及び、そうして今度は意識的にそういう作業を施すようになったのかもしれないと思われるのである。
現在のわれわれの分子物理学上の知識から考えて、こういう想像は必ずしもそう乱暴なものではないということは次のような考察をすれば、何人《なんびと》にも一応は首肯されるであろうと思う。
金属と油脂類との間の吸着力の著しいことは日常の経験からもよく知られている。真鍮《しんちゅう》などのみがいた鏡面を水で完全に湿《うるお》すのが困難であるのは、目に見えない油脂の皮膜のためである。こういう皮膜がいわゆる boundary lubrication の作用をして面の固体摩擦を著しく減少することは Rayleigh, Hardy, Langmuir, Devaux らの研究によって明らかになったことである。こういう皮膜は多くの場
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