ナロジー》が非常に力強い暗示をもって私の想像に訴えて来る。そうして生理と心理の間のかけ橋がまさにこの問題につながっていそうに思われてならない。
これを一つの working hypothesis として見た時には、そこからいろいろな蓋然的《がいぜんてき》な結果が演繹《えんえき》される。たとえば笑いやすい人と笑いにくい人などの区別が、力学の場合の「粘性」や「摩擦」に相当する生理的因子の存在を思わせる。粘液質などという言葉が何かの啓示のように耳にひびく。あるいは笑いの断続の「週期」と体質や気質との関係を考えさせられる。またかりに「笑い」が人類に特有な現象だとすれば、他の動物では質量弾力摩擦の配合が週期運動の条件を満足させないために振動が無週期的 aperiodic になるのではないかという疑いも起こる。
子供の笑いと子供にはわからないおとなの笑いとの間には連続的な段階がある。(A)尊厳がそこなわれた時の笑い、(B)人間の弱点があばかれた時の笑いなどは必ずしもこれを悪意な Schadenfreude とばかりは言われない。ここにもある緊張のゆるみが関係してくる。
(C)望みが遂げられた
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