。すると結局日常生活の仕事の上には、自分のようなものも健全な人も、からだの自覚から受ける影響はたいしたものではないかもしれないが、しかしこれほど根本的な肉体的の差別がどこかに発露しないはずはない。
 それで、これから告白しようとする私の奇妙な経験がどこまで正常《ノルマル》な健康を保有している幸福な人たちに共通で、どこからが私のようなものに限っての病的な現象に連関しているかは、遺憾ながら私自身にもよくわからない。この一編を書くようになった動機はむしろこの点に対する私の不可解な疑念であると言ってもいい。

 私は子供の時分から、医者の診察を受けている場合にきっと笑いたくなるという妙な癖がある。この癖は大きくなってもなかなか直らなくて、今でもその痕跡《こんせき》だけはまだ残っている。
 病気といっても四十度も熱があったり、あるいはからだのどこかに堪え難い痛みがあったりするような場合はさすがにそんな余裕はないが、病気の自覚症状がそれほど強烈でなくて、起き上がってすわって診察してもらうくらいの時にこの不思議な現象が起こるのである。
 まず医者が脈をおさえて時計を読んでいる時分から、そろそろこの笑
前へ 次へ
全19ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング