今度は趣向を変えて驚かしてやろうというような気はさすがにまだ無かった。
そのうちにまた「みそさざい」文章号というのが発行された。私が読書している隣りの室で、八重子と宗二とがひそひそ話し合っては、宗二が何か半紙へ書いていると思ったら、それは八重子作の御伽噺を兄が筆記しているのであった。出来上がったのを見ると、ずいぶん色々の文章や歌があった。長男のは感想的のもので姉や弟の絵や文章の傾向が論じてあったりした。八重子の日記にはおやつ[#「おやつ」に傍点]やおかず[#「おかず」に傍点]の事がだいぶ詳しくかいてあった。冬子の「ホシ」と題した歌のようなものがあったが、意味のどうしても分らない全く未来派のようなものであった。
子供等がこんな事をして割合に仲よく面白く遊んでいるうちに夏休みは容赦もなく経って行った。もう幾つ寝ると学校や幼稚園が始まるかという事が幼い子等によって毎日繰返されるようになった。そう思って見るせいか、子供等の顔にはどこかに倦怠の影がうかがわれた。私は親類や知人の誰彼が避暑先からよこした絵葉書などを見る度に、なんだか子供等にまだなんらかの負債をしているような心持を打消す事が出来
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