ように不思議な幻像に満たされているように思われるらしい。例えば郷里の家の前の流れに家鴨《あひる》が沢山並んでいて、夕方になると上流の方の飼主が小船で連れに来るというような何でもない話でさえ、何かしら一種の夢のようなものを幼い頭の中に描かせると見える。それでいつも「おくにの話」をねだってはおしまいに「あたしもお国へ行きたいなあ」と一人が云うと、もう一人が同じ言葉を繰返すのである。子供等の亡祖父の若かった頃の昔話もしばしば出る。私自身が子供の時分に幾度も聞かされた話が、また同じ母の口から出るのを聞いていると、それがもう遠い遠い昔の出来事であって、数年前まで生きていた私の父に関する話とは思われないような気がする。まして祖父を見た事のない、あるいは朧気にしか覚えていない子供等には、会津戦争や西南戦争時代の昔話は書物で見る古い歴史の断片のようにしか響かないだろう。そしてそれだけにかえって祖父に対するなつかしみは浄化され純化されて子供等の頭の中の神殿に収められるだろうと思ったりする。
 今年の夏始めに、涼み台が持ち出されて間もなく、長男が宵のうちに南方の空に輝く大きな赤味がかった星を見付けてあれは
前へ 次へ
全32ページ中21ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング