すお定まりの言詞を繰返したに過ぎないだろう。ただそれがQの冷罵《れいば》とペルゴレシの音楽とのすぐ後に出くわしたばかりに、偶然自分の子供らしいイーゴチズムに迎合したのかもしれない。
 しかし私が彼の帰って行く後姿を見た時に突然|閃《ひらめ》いた感傷的な心持の中には、後から考えるとかなり色々なものが含まれていたようである。例えば自分があの乞食であって門から門へと貰って歩くとする。どこの玄関や勝手口でも疑いと軽侮の眼で睨《にら》まれ追われる。その屈辱の苦味をかみしめて歩いているうちに偶然ある家へはいると、そこは冷やかな玄関でも台所でもなくそこに思いがけない平和な家庭の団欒《だんらん》があって、そして誰かがオルガンをひいていたとする。その瞬間に乞食としての自分の情緒がいくらかの変化を受けはしないだろうか。少なくともこの時のこの男はそんな心持がしたのではないかという気がする。彼の顔の表情には私がこれまで見たあらゆる乞食に見られない柔らかく温かいある物があった。
 彼はそれきり来ない。もう一度来ないかしらとも思うが、やはりもう来てくれない方がいい。

      三 簑虫

 八月のある日、空は
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