のである。さて来てみるとダンサーの室の前で変な男すなわち真犯人が取乱した風で手を洗っている。それが慌てて逃げ出す。ダンサーの室は叩いても音がしない。洗面台に犯人の遺《のこ》した腕時計が光っていて、それが折から金につまった小娘を誘惑する。ここはなかなかこの娘役者の骨の折れるところであろう。多分胸の動悸を象徴するためであろうか、機関車のような者を舞台裏で聞かせるがあれは少し変である。
 容疑者の容疑をもう一段強めるために、もう一つのエピソードを導入したいので次のような仕かけを考えたものである。この挿話の主人公夫婦として現われる二人の俳優の演技が老巧なためにこれが相当な効果をあげているようである。
 銀座を追われた靴磨き両人に腹を減らさせて浜町公園のベンチへ導く。そこに見物には分かっているが靴磨き二人には所有者不明の写真機がある。それをひねくり廻している矢先へ通りかかったのが保険会社社長で葬儀社長で動物愛護会長で頭が禿《は》げて口髯《くちひげ》が黒くて某文士に似ている池田庸平事大矢市次郎君である。それが団十郎の孫にあたるタイピストをつれて散歩しているところを不意に写真機を向けて撮る真似をされ
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