。車が方向をかえるたびに、そういう建物が真闇《まっくら》い空にぐるぐる廻転するように見えた。何十年も昔、世界のどこかの果のどこかの都市で、丁度こんな処をこんな晩に、こんな風にして走っていたような気がするのである。
気が付いたら室町《むろまち》の三越の横を走っていたので、それではじめてあらゆる幻覚は一度に消えてしまって単調な日常生活の現実が甦《よみがえ》って来た。そうして越えて来た「試験」の峠のあとの青空と銀杏の黄葉との記憶が再び呼び返され、それからバスの中の女優の膝の菓子折、明治座の廊下の飾り物の石鹸、電話の「猫のオルガン」から、もう一度「与太者ユーモレスク、四幕十一景」を復習しながら、子供のように他愛のない笑いを車内の片隅の暗闇の中で笑っている自分を発見したのであった。
緊張のあとに来る弛緩は許してもらってもいいであろう。そのおかげでわれわれは生きて行かれるのである。伸びるのは縮まるためであり、縮むのは伸びるためである。伸びるのが目的でもなく縮むのが本性でもなく、伸びたり縮んだりするのが生きている心臓や肺の役目である。これが伸び切り、縮み切りになるときがわれわれの最後の日である。
前へ
次へ
全22ページ中19ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング