るが、それでは登場人物が劇中人物に成り切るだけの時間が足りないであろう。役者が劇中人物に成り切るまでにはやはり相当な時間がかかるからである。
 最後の法廷で先ず最初に呼出された証人の警察医はこれは役者でなくて本物である。観客中の本職の素人《しろうと》が臨時に頼まれて出て来たのかと思うほど役者ばなれがして見えた。こういうのは成効であるか不成効であるか、それは自分等には分からない。
 この一座には立役者以外の端役《はやく》になかなか芸のうまい人が多いようである。この一座に限らず芝居の面白味の半分は端役の力であることは誰でも知っているらしいが、しかし誰も端役のファンになって騒ぐ人はないようである。騒がれることなしに名人になりたい人はこれらの端役の名優となるべきであろう。
 証人社長も真に迫るがこの人のはやはり役者の芸としての写実の巧みである。証人の上がる壇に蹴躓《けつまず》いたりするのも自然らしく見えた。これは勿論同じことを毎日繰返しているのである。開演期間二十余日の間毎晩一度ずつ躓かなければならないことを考えると俳優というものもなかなか容易ならぬ職業だと思われる。それはとにかくこの善良愛す
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