山中常盤双紙
寺田寅彦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)岩佐又兵衛《いわさまたべえ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)母|常盤《ときわ》が

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から1字上げ](昭和九年七月『セルパン』)
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 岩佐又兵衛《いわさまたべえ》作「山中常盤双紙《やまなかときわぞうし》」というものが展覧されているのを一見した。そのとき気付いたことを左に覚書にしておく。
 奥州にいる牛若丸に逢いたくなった母|常盤《ときわ》が侍女を一人つれて東へ下る。途中の宿で盗賊の群に襲われ、着物を剥がれた上に刺殺される、そのあとへ母をたずねて上京の途上にある牛若が偶然泊り合わせ、亡霊の告げによってその死を知る。そうして復讐《ふくしゅう》を計画し、詭計《きけい》によって賊をおびき寄せておいて皆殺しにする。後日再び奥州から大軍の将として上洛する途上この宿に立寄り懇《ねんご》ろに母の霊を祭る、という物語を絵巻物十二巻に仕立てたものである。
 絵巻物というものは現代の映画の先祖と見ることが出来る。これについては前にも書いたことがあったが、この山中常盤双紙は、そういう見方の適切なことを実証するのに好都合な一例と見ることも出来る。
 絵巻物の色々な場面の排列、モンタージュまた一つの場面の推移をはこぶコマ数の按配《あんばい》、テンポの緩急といったようなものに対する画家の計画には、ちょうど映画監督、編輯者のそれと同様な頭脳のはたらきを必要とすることがわかる。
 映画としてのこの絵巻のストーリーは、猿蟹合戦《さるかにかっせん》より忠臣蔵に至るあらゆる仇打《あだう》ち物語に典型的な型式を具えている。はじめは仇打ち事件の素因への道行であり、次に第一のクライマックスの殺し場がある。その次に復讐への径路があって第二の頂点仇打ちの場になる。そうして結局の大団円なりエピローグが来る。そういう形式がかなりはっきりしているのが目につく。
 映画のタイトルに相当する詞書《ことばがき》の長短の分布もいろいろ変化があって面白く、この点も研究に値いする。
 二つのクライマックスの虐殺の場がかなり分析的にコマ数を多くして描写されている。展覧会場では、この二つの頂点の処の肝心な数コマが白紙で蔽《おお》われて「カット」されていたことか
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