かという気がしたのであった。
とんぼがいかにして風の方向を知覚し、いかにしてそれに対して一定の姿勢をとるかということがまた単に生物学者生理学者のみならず、物理学者工学者にまでもいろいろの問題を提供するであろうと思われた。
人間をとんぼに比較するのはあまりに無分別かもしれない。しかし、ある時代のある国民の思想の動向をある方向に引き向ける第一第二の因子が何かしら存在している、それを観察し認識する能力が現在のわれわれには欠けているのではないかという気がする。そうしていっそう難儀なことはその根本的な無知を自覚しないでほんとうはわからないことをわかったつもりになったりあるいは第二次以下の末梢的《まっしょうてき》因子を第一次の因子と誤認したりして途方もない間違った施設方策をもって世の中に横車を押そうとするもののあることである。
人類を幸福に世界を平和に導く道は遼遠《りょうえん》である、そこに到達する前にまずわれわれは手近なとんぼの習性の研究から完了してかからなければならないではないか。
このとんぼの問題が片付くまでは、自分にはいわゆる唯物論的社会学経済学の所論をはっきり理解することが困難な
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