われようとしているらしい。自分はいつのまにか紋付き袴《はかま》の礼装をしている。自分の前に向き合って腰かけた男が、床上にだれかが持って来て置いた白い茶わんのようなものを踏むとそれがぱちりと砕けた。すると自分も同じように自分の足もとにある白い瀬戸物を踏み砕いた。いったいどういうわけでそんな事をするのか自分でもわからないで変な気持ちがした。濃紫の衣装を着た女が自分の横に腰掛けているらしかった。何か不安な予感のようなものがそこいらじゅうに動いているようであった。
いつのまにかどこかの離れ島に渡っていた。海を隔ててはるかの向こうに群青色の山々が異常に高くそびえ連なっている。山々の中腹以下は黄色に代赭《たいしゃ》をくま取った雲霧に隠れて見えない。すべてが岩絵の具でかいた絵のように明るく美しい色彩をしている。もちろん土佐《とさ》の山々だろうと思って、子供の時から見慣れたあの峰この峰を認識しようとするが、どうも様子がちがってそれらしいのがはっきりわからない。だんだん心細くなって来た。
昔の同窓で卒業後まもなく早世したS君に行き会った。昔のとおりの丸顔に昔のとおりのめがねをかけている。話をしかけた
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