雑記帳より(1[#「1」はローマ数字、1−13−21])
寺田寅彦

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)誅戮《ちゅうりく》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)亀井戸|玉《たま》の井《い》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)孑※[#「子の一が右半分だけ」、第4水準2−5−87]《ぼうふら》
−−

         一

 フランスの絵入雑誌を見ていると、モロッコ地方の叛徒の討伐に関する写真ニュースが数々掲載されている。それらの写真の下にある説明の文句を読んで見ると「モロッコ地方の Pacification のエピソード」と云ったような言葉が使ってある。直訳なら「平和化」で、先ず「平定」とでも訳する所であろうが、とにかくフランス人らしい巧妙な措辞である。「誅戮《ちゅうりく》」「討伐」「征伐」「征討」などと、武張ったどこかの国のジャーナリストなら書きたい所であろう。それを「平和化」と云ったところはやはりフランス人である。
 こんなことを考えてから間もなくのことである。ある有名な日本の歴史家がその著書の中に「朝鮮征伐」という文字を使ったのが甚だ不都合だと云って、某新聞の投書欄でひどく腹を立てた人があった。歴史家も日本人なら、この投書家も日本人である。
 老子にこんな言葉があった。「果而勿矜《かにしてほこることなかれ》。果而勿伐《かにしてうつことなかれ》。果而勿驕《かにしておごることなかれ》。果而勿不得止《かにしてやむことをえざれ》。果而勿強《かにしてきょうなることなかれ》。」老子はなかなかフランス人であったと見える。

         二

 夜、丸の内の淋しい町を歩いていたとき、子供を負《お》ぶった見窄《みすぼ》らしい中年の男に亀井戸|玉《たま》の井《い》までの道を聞かれ、それが電車でなく徒歩で行くのだと聞いて不審をいだき、同情してみたり、また嘘つきのかたりではないかと疑ぐってみたりしたことがあった。そうして、それに関するいろいろの空想を逞しくした顛末《てんまつ》を随筆にかいたことがある。ところが最近のある晩TS君がやはり丸ビル附近でそれと全く同じような経験をした、と云って話したところによると、やはり同じような子供を背
次へ
全3ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング