負っていたが、しかしその徒歩での行先は亀井戸ではなくて吉原の裏の方だと云ったそうである。TS君のその話を聞いて間もないある夜のこと、工業倶楽部の近くの辻でバスを待っているとどこからともなく子供を負ぶった中年男が闇の中からひょっくり現われて、浅草までの道を聞くのであった。前に逢った場合と同じように無帽で、同じような五、六歳くらいと思われる男の子を背負っているが、どうも男の顔形にははっきりした見覚えはないので、前に自分の逢ったのと同人であるかどうか、何しろ暗いのでよくは分からない。とにかくこうなるとせっかくの最初の空想も雲消霧散して残るものは世智辛《せちがら》い苦々しい現実である。それにしてもこの「商売」が一体どのくらいの収入になるものか、今度逢ったら思い切って一つ聞いてみてやろうと思っている。同じ「感傷」を売り付けるにしても小説家や映画製作者に比べてみると実に可哀相なみじめな商売である。これはやはり買ってやる方がいいと思う。憎むにはあまりにみじめな商売なのである。

         三

 文楽《ぶんらく》の義太夫《ぎだゆう》を聞きながら気のついたことは、あの太夫の声の音色が義太夫の太棹《ふとざお》の三味線の音色とぴったり適合していることである、ピアノ伴奏では困るのである。
 小唄勝太郎の小唄に洋楽の管絃伴奏のついた放送を聞いた。勝太郎の声のチャームがすっかり打消されてしまっている。この人の声はやはり唄三味線《うたじゃみせん》の絃の音色に乗るように練習して来たものである。

         四

 ある食堂の片隅の食卓に女学生が二人陣取ってメニューを点検していた。「何たべる」「何にしよう」……「御飯だの、おかずだの別々にたべるの面倒くさいわ、チキンライスにしましょう」。
 ある家庭で歳末に令嬢二人母君から輪飾りに裏白《うらじろ》とゆずり葉と御幣《ごへい》を結び付ける仕事を命ぜられて珍しく神妙にめったにはしない「うちの用」をしていた。裏白やゆずり葉を輪の表に縛り付けるか裏につけるかを議論していた。そのうちに妹の方が「こんなもの、はじめから結び付けて売っていればいいと思うわ。その方が合理的だわ……」。このチキンライスの話と輪飾りの話には現代思潮の反映がある。
 そうかと思うとまたある日本食堂で最近代的な青年二人と少女二人の一行が鯛茶《たいちゃ》を注文していたが、それが
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