雑記(2[#「2」はローマ数字、1−13−22])
寺田寅彦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)曾孫《ひまご》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)昨年九月一日|被服廠跡《ひふくしょうあと》で起った火焔の渦巻

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から1字上げ](大正十三年四月『中央公論』)
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      一 花火

 一月二十六日の祝日の午後三時頃に、私はただあてもなく日本橋から京橋の方へあの新開のバラック通りを歩いていた。朝よく晴れていた空は、いつの間にかすっかり曇って、湿りを帯びた弱い南の風が吹いていた。丸の内の方の空にあたって、時々花火が上がっているので、上がる度に気を付けて見ていた。ちょうど中橋広小路の辺へ来た時に、上がったのは、いつものただの簡単な昼花火とはちがって、よほど複雑な仕掛のものであった。先ず親玉から子玉が生れ、その子玉から孫玉が出て、それからまた曾孫《ひまご》が出た。そしてその代の更《かわ》り目《め》には、赤や青の煙の塊が飛び出すのであった。しかしそれらの色のついた雲は、すぐに消え失せて、黒い煙だけが割に永くあとに残るようであった。
 京橋の上まで来て、堀に沿うて東の方を見ると、向うの河岸《かし》と橋の上に大勢人が集まって河の方を見ている。船の中で花火を上げているのらしい。
 行ってみると、堀の真中に、かなり大きな船が一艘つなぎ留めてあって、そこが花火の打ち上げ場になっているのである。なるほど、こうして河の真中でやっていれば、いかに東京人でも、そうそう傍まで押しかけて覗《のぞ》きには行かれない訳である。これでないとずいぶん間違いが起りそうである。しかし果してそういう理由から船の中を選んだのか、あるいは他にもっと適切な理由があるのかもしれない。
 船首から船長の三分の一くらいのところに当って、横に張り渡した横木に大小四本の円筒が並べて垂直に固定してある。筒の外側はアルミニウムペイントで御化粧をしてあるが、金属製だかどうだか見ただけでは分らない。昔は花火の筒と云えば、木筒に竹のたがを幾重となく鉢巻きしたのを使ったものだが、さすがに今ではもうそんなものは使わないと見える。第一その筒の傍に立って、花火の打上げを担当している二人の技手からが、洋服に、スエター、半ズボンというハイカラな服装である。そうしてその二人のうちで船首の方に立っている一人は、立派な鬚《ひげ》をさえ生やしているのである。これが筒の掃除をする役をつとめる。胴《どう》の間《ま》の側に立っているこれもスマートな風体の男が装填発火の作業をする役割である。
 艫《とも》の方の横木に凭《もた》れて立っている和服にマント鳥打帽の若い男がいちばんの主人株らしい、たぶん今日のプログラムを書いてあるらしい紙片を手に持って立っている。その傍に花火を入れた箱があって、助手がそこから順々に花火の玉を出して打手に渡す。
 始めに小さな包のようなものを筒口へ投《ほう》り込んで、すぐその上へ銀色をした球を落し、またその上へ、掌《てのひら》から何かしら粉のようなものを入れる。次にチョッキの隠袋《かくし》から、何か小さなものを出して、火縄でそれに点火したのを、手早く筒口から投げ入れると、半秒足らずくらいの後に、爆然と煙が迸《ほとばし》り出て、鈍い爆音が聞える。煙が綺麗な渦の環になってフワフワと上がって行く、すると高い所で弾が爆発して、それからがいわゆる花火の現象になるのである。
 だんだん目が馴れて来ると弾が上がって行く途中の経路を明瞭に認める事が出来る、そして破裂する時に、先ず一方へ閃光《せんこう》のように迸り出る火焔も見え、外被が両分して飛び分れるところも明らかに見る事が出来る。風の影響もあるだろうが、それよりもむしろ、筒口を出る際の、偶然の些細な条件のために、時々は弾道が上の方でひどく彎曲《わんきょく》して、とんでもない方へ行って開く事もある。
 いちばん小さな筒と、その次のとが、最も頻繁に使われる。一発打ち上げたのの煙が、おおかた消える時分に、次のを上げるという順序であるが、筒の大小は変っても、上がるものはたいてい同じような平凡なのが多い。同じくらいの時間間隔を置いて連続的に五回の爆発をやるのがいちばん多いようであった。つづけて五回音がして空中へ五つの煙の団塊が団子のように並ぶだけと云わばそれまでのものである。
「音さえすりゃあ、いいんだね」「音さえすりゃあ、いいんだよ」、こんな事を云いながら、それでもやはり未練らしくいつまでも見物している職人の仲間もあった。見物している連中を見渡してみると、ほとんど労働者階級の人らしく、兵隊や女も少しはまじっていたが、いわゆる知識階級に属するらしい人は一人も見当らなかった。知識階級の人は、こういう種類の見物にはあまり興味を持たないのか、それとも、花火の技術や現象などはとうにもう知っているから、いまさらこんなところで見物する必要がないのか、そうではあるまい、むしろそんなものをぼんやり呑気《のんき》に見ているような暇がないのだろうと思ってみた。もっとも向う河岸の官衙《かんが》の裏河岸を見るとかなり立派な役人達で呑気そうに見物しているのも大勢居た。河一つ隔てて、こう事柄のちがうのは果してどういう訳だろうとも思ってみたりした。
 五回の爆声の間の四つの時間間隔は決して一様にはならないものらしい。その長短がいろいろの偶然的なコンビネーションで起るのが先ず面白かった。それから五つの煙の塊が空中に描く屈曲した線が色々の星座のような形をして、またそれが垂直に近くなったり、水平に近く出たり、あるいは色々な角度に傾斜するのも面白かった。それらの塊が風に流されて行く間にだんだん相対的位置を変えて行くのが、上層の風の構造を示すものとして、特別な興味があった。かつて誰かが、ある関東の山の上で花火を上げて、高層気象の観測をやろうという提案をした事を思い出して、なるほどこれならば存外ものになりそうだと思いながら見ていた。
 なお面白いのは一つ一つの煙の団塊の変形である。これがみな複雑な渦動《ヴォーテックス》の団塊であって、六《むつ》かしい運動を続けながら、だんだんに拡散して行くのである。昨年九月一日|被服廠跡《ひふくしょうあと》で起った火焔の渦巻を支配したと同じ方則がここにも支配しているのだろうと思って、一生懸命に眺めていたが、この模糊《もこ》とした煙の中から、そう手取早く要領を得た方則を読取る事は容易な仕事ではないのであった。
 五回に一回くらいは風船に旗を吊したものや、相撲や兵隊などの人形の出るのがあった。人形がゆらりゆらり御叩頭《おじぎ》をしたり、挙げた両手をぶらぶらさせながら、緩やかに廻転しながら下りて行くのは、ちょっと滑稽な感じのするものである。それが向う河岸の役所の構内へ落ちそうになると、そこの崖で見ていた中年の紳士の一人は急いで駆け出して行って、建物の向うに消えた。まさかあれを取るためにああ急いで駆けて行ったのでもあるまいが。
 そのうちに一つ、いつもとはちがって円筒形をした玉を込めているので、今度は何か変ったものが出るだろうと注意して見ていた。打ち上げられた円筒は、迅速に旋転しながら昇って行ったが、開いたのを見ると、それは夜の花火によくあるような、傘形にあるいはしだれ柳のように空に天蓋を拡げるのであった。これについて一つ不審に思った事は、あれがどうしていつでも傘のように垂直線のまわりに対称的《シンメトリカル》に拡がるかという事である。なんでもない事のように思っていたが、考えてみると、これはそう簡単な問題ではなさそうである。あの円筒形がその筒の軸と直角な軸の周囲に廻転しながら昇るという事と関係があるらしいとは思うが、本当の事は鍵屋《かぎや》の職人にでもよく聞いてみた上でなければ判断が出来ない訳である。昔始めてこの花火を発明した人は偶然かもしれないが、やっぱり、少しはえらい人だったろうという気がした。
 いちばん大きな筒の順番はなかなか廻って来なかった。かれこれ半時間の余も見ていたが、いっこうに此方《こっち》へは手を付けない。自分の周囲で見ている連中にもやはりそれが気になるらしい事を云い合っているのがあった。私は自分が子供の時に九段上の広場で見た、手拭を撚《よ》ってこしらえた蛇《へび》を地上において、それが今に本当の蛇になると云って、その周囲に円を描いて歩きながら、笛を吹いて往来の暇人を釣っていた妙な男の事を思い出した。そしてその昔の心持と今のとどこか似通ったものを捜《さぐ》りあてて、思わず微笑したのであった。
 しかしとうとう、そのいちばん大きな筒が装填される時が来た。「今度は大きいぞ大きいぞ」と云う声が、群衆の中で、そこからもここからも起った。
 かなり大きな音と共に飛び出した弾は、風の音を立てて昇って行って、突然開いた。
 何が出るかと思って、緊張している、大勢の頭上の空中に、一団の大きな黄黒色のボアのような煙の団塊が一つ出来た。そしてただそれだけであった。煙は次第次第に乱れて拡散して、やがてただ一抹《いちまつ》の薄い煙になってやがて消えてしまった。
 花火船の艫《とも》にしゃがんでいた印半纏《しるしばんてん》の老人は、そこに立ててあった、赤地に白く鍵屋と染め出した旗を抜いて、頭の上でぐるぐると大きく振り廻した。もうおしまいという合図らしい。
 船首の技手は筒の掃除をする。若い親方はプログラムを畳む。見物は思い思いに散って行った。散った跡の河岸に誰かが焚《た》きすてた焚火の灰がわずかに燻《くすぶ》って、ゆるやかな南の風に靡《なび》いていた。
 いちばん大きな筒から打上げる花火は、いちばん面白いものでなければならない、という理窟はどこからも出て来ない訳であった。それでも、なんだか少し欺《だま》されたような気がしたのは、存外自分ばかりではないだろうと思った。
 そして、自分はこれまでに、これとよく似た幻滅を感じさせられた色々の場合を想い起しながら、またあてもなく、祝日の人通りに賑わう銀座の方へ歩いて行った。

      二 ボーイ

 A町を横に入った狭い小路《こうじ》に一軒の小さな洋食店があった。たった一部屋限りの食堂は、せいぜい十畳くらいで、そこに並べてある小さな食卓の数も、六つか七つくらいに過ぎなかった。しかし部屋が割合に気持のいい部屋で、すべてが清楚な感じを与えた。のみならず、そこで食わせる料理も、味が軽くて、分量があまり多くなくて、自分の鈍い胃には比較的に工合がいいので、何かの機会にそこで食事をする事も稀ではなかった。
 広いこの都会の、数多い洋食店の中でも、自分の注文に合うような家はまことに稀であった。高等な料理店へ行けば、室内も立派で清潔ではあるが、そこに集まって食事をしている人達が、あまりに自分とはかけ距《はな》れた別の世界に属する人達のようであった。そういう中に交じってみると、自分がただ一人間違ってまぎれ込んだ異国の旅人でもあるような心持がして何となく圧迫を感じるのである。それかと云って、もう少し気楽なところでは、卓布や食器がひどく薄汚かったり、妙に騒々しかったり、それよりも第一料理が重苦しくて、自分の胃には拠《よんどころ》なく負担が過ぎるのである。
 そういう点で、自分の六かしい要求に比較的よくはまるのが、このA町の家であった。ここへは一団の政治界や経済界に羽をのして歩くようなえらい人達は来ないようであった。そうかと云ってあまり騒々しいぷろれたがり屋の酒呑み客も来なかった。来ている人は、もちろんどういう人か分らないが、何かしら少なくも自分と同じ世界のどこかに住んでいる人のような気がした。時々は家族連れの客も来ていたが、みんなつつましい、静かな人達のようであった。
 食卓には、いつも、切子《きりこ》ガラスの花瓶に、時節の花が挿してあった。それがどんな花であっても純白の卓布と渋色のパネルによくうつって美しかった。ガラス障子の外には、狭い
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