も見当らなかった。知識階級の人は、こういう種類の見物にはあまり興味を持たないのか、それとも、花火の技術や現象などはとうにもう知っているから、いまさらこんなところで見物する必要がないのか、そうではあるまい、むしろそんなものをぼんやり呑気《のんき》に見ているような暇がないのだろうと思ってみた。もっとも向う河岸の官衙《かんが》の裏河岸を見るとかなり立派な役人達で呑気そうに見物しているのも大勢居た。河一つ隔てて、こう事柄のちがうのは果してどういう訳だろうとも思ってみたりした。
五回の爆声の間の四つの時間間隔は決して一様にはならないものらしい。その長短がいろいろの偶然的なコンビネーションで起るのが先ず面白かった。それから五つの煙の塊が空中に描く屈曲した線が色々の星座のような形をして、またそれが垂直に近くなったり、水平に近く出たり、あるいは色々な角度に傾斜するのも面白かった。それらの塊が風に流されて行く間にだんだん相対的位置を変えて行くのが、上層の風の構造を示すものとして、特別な興味があった。かつて誰かが、ある関東の山の上で花火を上げて、高層気象の観測をやろうという提案をした事を思い出して、なるほどこれならば存外ものになりそうだと思いながら見ていた。
なお面白いのは一つ一つの煙の団塊の変形である。これがみな複雑な渦動《ヴォーテックス》の団塊であって、六《むつ》かしい運動を続けながら、だんだんに拡散して行くのである。昨年九月一日|被服廠跡《ひふくしょうあと》で起った火焔の渦巻を支配したと同じ方則がここにも支配しているのだろうと思って、一生懸命に眺めていたが、この模糊《もこ》とした煙の中から、そう手取早く要領を得た方則を読取る事は容易な仕事ではないのであった。
五回に一回くらいは風船に旗を吊したものや、相撲や兵隊などの人形の出るのがあった。人形がゆらりゆらり御叩頭《おじぎ》をしたり、挙げた両手をぶらぶらさせながら、緩やかに廻転しながら下りて行くのは、ちょっと滑稽な感じのするものである。それが向う河岸の役所の構内へ落ちそうになると、そこの崖で見ていた中年の紳士の一人は急いで駆け出して行って、建物の向うに消えた。まさかあれを取るためにああ急いで駆けて行ったのでもあるまいが。
そのうちに一つ、いつもとはちがって円筒形をした玉を込めているので、今度は何か変ったものが出るだろうと注意
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