にそういう感じを助長した。
ずっと裏の松林の斜面を登って行くと、思いがけなく道路に出た。そこに名高い花月園《かげつえん》というものの入口があった。どんなにか美しいはずのこんもりした渓間《たにま》に、ゴタゴタと妙な家のこけら葺《ぶき》の屋根が窮屈そうに押しあっているのを見下ろして、なるほどこうしたところかと思った。
西の方へ少し行くと、はじめて自然の野があって畑には農夫が働いていた。しかし一方を見ると、大きなペンキ塗の天狗の姿が崖の上に聳《そび》えているのに少なからず脅かされた。
帰りの電車はノルマルに込んでいた。並んで立っていた若い会社員風の二人連れが話しているのを、聞くともなく聞いていると、毎朝同じ時刻に乗る人がみんなそれぞれ乗り込む車の位置に自ずからきまりがあると見えて、同じ顔が同じところにいつでも寄り合うようだと云っていた。そうかもしれない。しかし同じ顔を見た時の印象が、見なかった時の印象を掩蔽《えんぺい》してそう思わせるのかもしれない。
品川から上野行は嘘のように空いていた。向い側に小間物を行商するらしい中年女が乗って、大きな荷物にもたれて断えず居眠りをしていた。浴衣の
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