膝頭に指頭大の穴があいたのを丹念に繕ったのが眼についた。汚れた白足袋の拇指《おやゆび》の破れも同じ物語を語っていた。
 相場師か請負師とでもいったような男が二人、云い合わせたように同じ服装をして、同じ折かばんを膝の上に立てたり倒したりしながら大きな声で話していた。四万円とか、一万坪とか、青島《チンタオ》とか、横須賀とかいう言葉が聞こえた時に私の頭にはどういうものかさっき見た総持寺の幻影がまた蘇って来た。
 兵隊が二、三人鉄砲を持ってはいって来た。銃口にはめた真鍮《しんちゅう》の蓋のようなものを注意して見ているうちに、自分が中学生のとき、エンピール銃に鉛玉を込めて射的《しゃてき》をやった事を想い出した。単純に射的をやる道具として見た時に鉄砲は気持のいいものである。しかしこれが人を殺すための道具だと思って見ると、白昼これを電車の中に持ち込んで、誰も咎める人のないのみならず、何の注意すらも牽《ひ》かないのが不思議なようにも思われた。
 結局絵は一枚も描かないで疲れ切って帰って来たのであった。しかしケンプェルの挿絵の中にある日本を思いがけないところで見付け出しただけはこの日の拾い物であった。

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