と直角に丘の胴中を切り抜いていた。向うに見える大きな寺がたぶん総持寺《そうじじ》というのだろう。
松林の中に屋根だけ文化式の赤瓦の小さな家の群があった。そこらにおむつが干したりしてあるが、それでもどこかオルガンの音が聞えていた。
まだ見た事のない総持寺の境内《けいだい》へはいってみた。左の岡の中腹に妙な記念碑のようなものがいくつも立っているのが、どういう意味だか分らない。分らないが非常に変な気持を与えるものである。
暑くなったから門内の池の傍のベンチで休んだ。ベンチに大きな天保銭《てんぽうせん》の形がくっつけてある。これはいわゆる天保銭主義と称する主義の宣伝のためにここに寄附されたものらしい。
絵でも描くような心持がさっぱりなくなってしまったので、総持寺見物のつもりで奥へはいって行った。花崗岩《みかげいし》の板を贅沢に張りつめたゆるい傾斜を上りつめると、突きあたりに摺鉢《すりばち》のような池の岸に出た。そこに新聞縦覧所という札のかかった妙な家がある。一方には自動車道という大きな立札もある。そこに立って境内を見渡した時に私はかつて経験した覚えのない奇妙な感じに襲われた。
つい近
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