か見当が付かない。
 汚いなりをした、眼のしょぼしょぼした干からびた婆さんと、その孫かとも見える二十歳くらいの、大きな風呂敷包の荷をさげた、手拭浴衣《てぬぐいゆかた》の襦袢《じゅばん》を着た男が乗っていた。話の様子で察してみると、誰かこの老婆の身近い人が、川崎辺の病院にでもはいっていて、それが危篤にでも迫っているらしい。間に合うかどうかを気にしているのを、男がいろいろに力をつけて慰めてでもいるらしかった。こういう老婆を見ると、いかにも弱々しく見える一方では、また永い間世の中のあらゆる辛苦に錬え上げられて、自分などがとても脚下にもよりつかれないほど強い健気《けなげ》なところがあるように思われて来る。そしてそれが気の毒なというよりはむしろ羨ましいような気のする時がないでもない。
 鶴見で下りたものの全くあてなしであった、うしろの丘へでも上ったらどこかものになるだろうと思って、いい加減に坂道を求めて登って行った。風が少しもなくて、薄い朝靄《あさもや》を透して横から照り付ける日光には帽子の縁は役に立たぬものである。坂を上りつめると広い新開道があった。少しあるくと道は突然中断されて、深い掘割が道
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