が今日では単に国粋保存というような意味ばかりでなく、つまり、常に常識的であるための「非常識デー」として存在の価値を保っているらしく私には思われる。
「濫費日」や「嘘つき日」や「怠け日」はあまり聞えはよくないかもしれないが、実はこれらの特定日の存在は平日の節約勤勉真面目を表白するとすれば目出度《めでた》い事である。そしてそういう場合に行われるこれらの「デー」の効果は必ずしも悪いばかりとは思われない。たとえ今日のような世の中でも、場合によってはかえってこの頃のいろいろの人聞きのいいデーに勝る事がないとも限らない。今の人でもおそらく年中悪い事ばかりはしていまい。
危険な崖の上に立っている人を急に引止めようとするとかえって危険だという話がある。これと似た事がもし適用するとすれば、濫費に偏しているものを一日だけ引き戻すのはかえって危険な場合があるかもしれない。後に引いた弓を放てば矢は前に飛ぶ。しかしこの類推はこの場合にあてはまるかどうだかそれは分らない。
それにしても「節約デー」という言葉が私にはやはり不思議な感じを与える。もしこれが反対に「濫費デー」であったらその意味は私にはかえって呑み込
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