しまいか。これも考えものである。
今度のノーベル・プライズのために不意打ちをくらった世間が例のように無遠慮に無作法にあのボーアの静かな別墅《べっしょ》を襲撃して、カメラを向けたり、書斎の敷物をマグネシウムの灰で汚したり、美しい芝生を踏み暴《あら》したりして、たとえ一時なりともこの有為な頭の安静をかき乱すような事がありはしないかというような気がする。そんな事がありそうである。そしてそうあっては困ると思う。しかし当人は存外平気で笑っているかもしれない。
もし誰かがカントを引ぱり出して寄席《よせ》の高座から彼のクリティクを講演させたとしたらどうであったろう。それは少しも可笑《おか》しくはないかもしれない、非常に結構な事ではあろうが、しかしそれがカントに気の毒なような気のするだけは確かである。
私はただ何という理窟なしにボーアの内面生活を想像して羨ましくまたゆかしく思っていた。そしてそのような生活がいつまでも妨げられずに平静に続いて行って、その行末永い途上に美しい研究の花や実を齎《もたら》す事を期望している。[#地から1字上げ](大正十二年一月『中央公論』)
四 切符の鋏穴
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