と直角に丘の胴中を切り抜いていた。向うに見える大きな寺がたぶん総持寺《そうじじ》というのだろう。
 松林の中に屋根だけ文化式の赤瓦の小さな家の群があった。そこらにおむつが干したりしてあるが、それでもどこかオルガンの音が聞えていた。
 まだ見た事のない総持寺の境内《けいだい》へはいってみた。左の岡の中腹に妙な記念碑のようなものがいくつも立っているのが、どういう意味だか分らない。分らないが非常に変な気持を与えるものである。
 暑くなったから門内の池の傍のベンチで休んだ。ベンチに大きな天保銭《てんぽうせん》の形がくっつけてある。これはいわゆる天保銭主義と称する主義の宣伝のためにここに寄附されたものらしい。
 絵でも描くような心持がさっぱりなくなってしまったので、総持寺見物のつもりで奥へはいって行った。花崗岩《みかげいし》の板を贅沢に張りつめたゆるい傾斜を上りつめると、突きあたりに摺鉢《すりばち》のような池の岸に出た。そこに新聞縦覧所という札のかかった妙な家がある。一方には自動車道という大きな立札もある。そこに立って境内を見渡した時に私はかつて経験した覚えのない奇妙な感じに襲われた。
 つい近頃友人のうちでケンプェルが日本の事を書いた書物の挿絵を見た中に、京都の清水《きよみず》かどこかの景と称するものがあった。その絵の景色には、普通日本人の頭にある京都というものは少しも出ていなくて、例えばチベットかトルキスタンあたりのどこかにありそうな、荒涼な、陰惨な、そして乾き切った土地の高みの一角に、「屋根のある棺柩《かんきゅう》」とでも云いたいような建物がぽつぽつ並んでいる。そしてやはり干からびた木乃伊《ミイラ》のような人物が点在している。何と云っていいか分らないが、妙にきらきら明るくていて、それで陰気なおどろおどろしい景色である。dismal とか weird とか何かしらそんな言葉で、もっと適切な形容詞がありそうで想い出せない。
 総持寺の厖大《ぼうだい》な建築や記念碑を見廻した時に私を襲った感じが、どういうものかこのケンプェルの挿絵の感じと非常によく似ていた。
 摺鉢形の凹地《くぼち》の底に淀んだ池も私にはかなりグルーミーなものに見えた。池の中島にほうけ立った草もそうであった。汀《みぎわ》から岸の頂まで斜めに渡したコンクリートの細長い建造物も何の目的とも私には分らないだけにさらにそういう感じを助長した。
 ずっと裏の松林の斜面を登って行くと、思いがけなく道路に出た。そこに名高い花月園《かげつえん》というものの入口があった。どんなにか美しいはずのこんもりした渓間《たにま》に、ゴタゴタと妙な家のこけら葺《ぶき》の屋根が窮屈そうに押しあっているのを見下ろして、なるほどこうしたところかと思った。
 西の方へ少し行くと、はじめて自然の野があって畑には農夫が働いていた。しかし一方を見ると、大きなペンキ塗の天狗の姿が崖の上に聳《そび》えているのに少なからず脅かされた。
 帰りの電車はノルマルに込んでいた。並んで立っていた若い会社員風の二人連れが話しているのを、聞くともなく聞いていると、毎朝同じ時刻に乗る人がみんなそれぞれ乗り込む車の位置に自ずからきまりがあると見えて、同じ顔が同じところにいつでも寄り合うようだと云っていた。そうかもしれない。しかし同じ顔を見た時の印象が、見なかった時の印象を掩蔽《えんぺい》してそう思わせるのかもしれない。
 品川から上野行は嘘のように空いていた。向い側に小間物を行商するらしい中年女が乗って、大きな荷物にもたれて断えず居眠りをしていた。浴衣の膝頭に指頭大の穴があいたのを丹念に繕ったのが眼についた。汚れた白足袋の拇指《おやゆび》の破れも同じ物語を語っていた。
 相場師か請負師とでもいったような男が二人、云い合わせたように同じ服装をして、同じ折かばんを膝の上に立てたり倒したりしながら大きな声で話していた。四万円とか、一万坪とか、青島《チンタオ》とか、横須賀とかいう言葉が聞こえた時に私の頭にはどういうものかさっき見た総持寺の幻影がまた蘇って来た。
 兵隊が二、三人鉄砲を持ってはいって来た。銃口にはめた真鍮《しんちゅう》の蓋のようなものを注意して見ているうちに、自分が中学生のとき、エンピール銃に鉛玉を込めて射的《しゃてき》をやった事を想い出した。単純に射的をやる道具として見た時に鉄砲は気持のいいものである。しかしこれが人を殺すための道具だと思って見ると、白昼これを電車の中に持ち込んで、誰も咎める人のないのみならず、何の注意すらも牽《ひ》かないのが不思議なようにも思われた。
 結局絵は一枚も描かないで疲れ切って帰って来たのであった。しかしケンプェルの挿絵の中にある日本を思いがけないところで見付け出しただけはこの日の拾い物であった。

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