眼には妙にものものしい行列のように見えた。大劇場のプロムナードを練り歩く人の群のような気がした。そして世の中に「閑な人」ほど恐ろしいものはないという気がした。自分がやはりその一人である事などは忘れてしまって。
裏の方の芝地へ廻ってみても同様であった。裁判所だか海軍省だかの煉瓦を背景にした、まだ短夜の眠りのさめ切らぬような柳の梢に強い画趣の誘惑を感じたので、よほど思い切って画架を立てようかと思っていると、もうそこらを歩いている人が意地悪く此方《こっち》へ足を向け始めるような気がする。ゴーゴルか誰かの小品で読んだ、パンの中から出た鼻の捨場所を捜してうろついて歩いている男の心持を想い出した。
あきらめて東京駅から鶴見行の切符を買った。この電車の乗客はわずかであったが、その中で一人かなりの老人で寝衣のようなものを着て風呂敷包をさげたのが、乗ったと思うともうすぐに有楽町で下りた。これはどういう訳だか私には不思議に思われた。事によるとこの人は東京駅員で昨夜当直をしたのが今朝有楽町辺の宿へ帰って行くのではないかという仮説をこしらえてみた。そう云えば新橋で下りる人もかなりあった。これもどういう人達か見当が付かない。
汚いなりをした、眼のしょぼしょぼした干からびた婆さんと、その孫かとも見える二十歳くらいの、大きな風呂敷包の荷をさげた、手拭浴衣《てぬぐいゆかた》の襦袢《じゅばん》を着た男が乗っていた。話の様子で察してみると、誰かこの老婆の身近い人が、川崎辺の病院にでもはいっていて、それが危篤にでも迫っているらしい。間に合うかどうかを気にしているのを、男がいろいろに力をつけて慰めてでもいるらしかった。こういう老婆を見ると、いかにも弱々しく見える一方では、また永い間世の中のあらゆる辛苦に錬え上げられて、自分などがとても脚下にもよりつかれないほど強い健気《けなげ》なところがあるように思われて来る。そしてそれが気の毒なというよりはむしろ羨ましいような気のする時がないでもない。
鶴見で下りたものの全くあてなしであった、うしろの丘へでも上ったらどこかものになるだろうと思って、いい加減に坂道を求めて登って行った。風が少しもなくて、薄い朝靄《あさもや》を透して横から照り付ける日光には帽子の縁は役に立たぬものである。坂を上りつめると広い新開道があった。少しあるくと道は突然中断されて、深い掘割が道
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