の年になって、こんな処へ来て、こんな光景を初めて目撃しようとは夢にも想わないことであった。旅はすべきものである。
五稜郭《ごりょうかく》行というバスを見かけて乗る。何某講と染め抜いた揃いの手拭を冠った、盛装に草鞋《わらじ》ばきという珍しい出で立ちの婦人の賑やかに陽気な一群と同乗した。公園の入口にはダリアが美しく咲いて森閑とした園内を園丁が掃除していた。子供の時分によく熱病をわずらって、その度に函館産の氷で頭を冷やしたことであったが、あの時のあの氷が、ここのこの泥水の壕《ほり》の中から切り出されて、そうして何百里の海を越えて遠く南海の浜まで送られたものであったのかと思うと、この方が中学校の歴史で教わった五稜郭の戦いに関する感慨よりも更に深くエゴイストの心に触れるものがある。これは我が幼き日における深く限りなき父母の慈愛の想い出につながるからである。帰路のバスを待っていると葬礼の行列が通る。男は編笠を冠り白木綿の羽織のようなものを着ている。女は白|頭巾《ずきん》に白の上《うわ》っ被《ぱ》りという姿である。遺骨の箱は小さな輿《こし》にのせて二人でさげて行くのである。近頃の東京の葬礼自動車ほ
前へ
次へ
全16ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング