。野辺地《のへじ》の浜に近い灌木の茂った斜面の上空に鳶《とんび》が群れ飛んでいた。近年東京ではさっぱり鳶というものを見たことがなかったので異常に珍しくなつかしくも思われた。のみならず鳶のこのように群れているということ自身も珍しい。おそらく下には何かよほど豊富な獲物があるに相違ないが、それは何だか分らない。しかし、よもや心中《しんじゅう》でもあるまい。
青森湾沿岸の家の屋根の様式は日本海海岸式で、コケラ葺《ぶき》の上に石塊を並べてあるのが多い。汽車から見た青森市の家はほとんど皆トタン葺またはコケラ葺の板壁である。いかにも軽そうで強風に吹飛ばされそうな感じがする。永久性と落着きのないのは、この辺の天然の反対である。浅虫《あさむし》温泉は車窓から見ただけで卒業することにした。
夕方連絡船に乗る。三千四百トン余のタービン船で、なかなか綺麗で堂々としている。青森市の家屋とは著しい対照である。左舷に五秒ごとに閃光を発する平舘《たいらだて》燈台を見る。その前方遥かに七秒、十三秒くらいの間隔で光るのは竜飛岬《たっぴみさき》の燈台に相違ない。強い光束が低い雲の底面を撫《な》でてぐるりと廻るのが見える。青森湾口に近づくともう前面に函館《はこだて》の灯が雲に映っているのが見られる。マストの上には銀河がぎらぎらと凄いように冴えて、立体的な光の帯が船をはすかいに流れている。しばらく船室に引込んでいて再び甲板へ出ると、意外にもひどい雨が右舷から面《おもて》も向けられないように吹き付けている。寒暖二様の空気と海水の相戦うこの辺の海上では、天気の変化もこんなに急なものかと驚かれるのであった。
海から近づいて行く函館の山腹の街の灯は、神戸よりもむしろ香港《ホンコン》の夜を想わせる。それがそぼふる秋雨ににじんで、更にしっとりとした情趣を帯びていた。
翌朝港内をこめていた霧が上がると秋晴れの日がじりじりと照りつけた。電車で街を縦走して、とある辻から山腹の方へ広い坂道を上がって行くと、行き止まりに新築の大神宮の社《やしろ》がある。子守が遊んでいる。港内の眺めが美しい。この山の頂上へ登られたら更に一層の眺めであろうと思うが地図を見ても頂上への道がない。なるほどここは要塞であると気が付く。要塞というものは必ず景勝の地であり、また必ず地学的に最も興味ある地点になっているのは面白い事実であろう。大神宮のす
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