ぜ、こんなのとはちがわあ」「あれでも何處かへ持つて行きあ、三十圓や五十圓にやあなるんだよ」などといふのも聞こえた。
さつきの子供はいつ迄も其處いらを離れずにぶら/\して居た。遠足にしては唯一人といふのも可笑しかつた。餘程繪が好きなので、かうして油繪の出來て行く道筋を飽きずにおしまひまで見屆けようとして居るのかと思つても見た。
一度去つた荷車と人夫は再び歸つて來た。彼等の仕事しながらの會話によつて對岸の廢工場が某の鑄物工場であつた事、それが漸く竣成していよ/\製造を始めようとする途端に經濟界の大變動が突發して其儘廢墟になつてしまつた事などを知つた。
繪具箱を片付ける頃には夕日が傾いて廢墟の汀の花薄は黄金の色に染められた。其處に堆積した土塊のやうなものはよく見るとみな石炭であつた。溜池の岸には子供が二三人釣を垂れて居た。熔爐の屋根には一羽の鴉が首を傾けて何かしら考へて居た。
繪として見る時には美しく面白い此の廢墟の影に、多數の人の家の悲慘な運命が隱れて居るのを、此の瞬間迄私は少しも考へないで居た。一度氣が付くともう眼の前の繪は消えて其處にはさま/″\な悲劇の場面が現はれた。
利慾
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