たやうな顏を見せたが、驚いてあやまつたらすぐに心が解けたやうである。私はこんな時にいつでも思ふ事がある。自分は何故平氣ですまして居て、もし面と向つて怒られたら、そんな處に足をもつて來て居る奴があるか氣をつけろと怒鳴りつける丈けの勇氣[#「勇氣」に傍点]がないのだらう。此の勇氣がなくてはとても今の世間をのんびりした氣持では渡つて行かれないらしい。昔は命を的にしなければ、うつかり誤つてゞも人の足も踏めず、惡口も無論云はれなかつた。私の血縁の一人は夜道で誤つて衝き當つた人と斬り合つて相手を殺し自分は切腹した。それが今では法律に觸れない限り、自分の眼鏡で見て氣に入らない人間なら、足を踏みつけておいて、逆樣に罵しる方が男らしくていゝのである。さういふ事を道樂のやうにして歩いて居る人格者もある。それで私は自分の子供等の行末を思ふなら、さういふ風に今から教育しなければさきで困るのではないかと思ふ事も屡※[#二の字点、1−2−22]ある。
「赤羽で今電氣を焚く[#「電氣を焚く」に傍点]ところをこさへ[#「こさへ」に傍点]て居るが、其れが出來るとはや[#「はや」に傍点]……」こんな事を話して居る男があつ
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