た色々の場所が丁度數珠の珠を絲に連ねるやうに、電車線路に貫かれてつながり合つて來るのが一寸面白かつた。
學校で教つたり書物を讀んだりして得た知識も矢張り離れ離れになり勝ちなものである。唯自分が何かの問題にまともにぶつかつて、其方の必要から此等の知識を通り拔ける時に、凡ての空虚な知識が體驗の絲に貫かれて始めて活きて連結して來る。此れと同じやうなものだと思ふ。
農科の實科の學生が二三人乘つて居た。みんな大きな包のやうなものを携へて居る。休日でもないのに何處へ行くのだらうと思つて氣をつけて居た。すると途中からもう一人同じ帽章をつけたのが乘り込んで、いきなり入口に近く腰掛けて居た一人の肩をたゝき「オイ、どうした」と聲をかけた。其の言葉の響の或る機微な特徴で、私は此の學生が固有の日本人でない事を知つた。氣を付けて見ると、つい私の隣にかけて居た連れの一人の讀んで居る新聞が漢字ばかりのものであつた。容貌から見るとどうも中國ではなくて朝鮮から來た人達らしく思はれた。
玉川の磧では工兵が架橋演習をやつて居た。あまりきらきらする河原には私の搜すやうな畫題はなかつたので、河と此れに並行した丘との間の畑地を當もなく東へ歩いて行つた。廣い廣い桃畑があるが、樹はもうみんな葉をふるつてしまつて、果實を包んだ紙の取り殘されたのが雨にたゝけてくつついて居る。少しはなれて見ると密生した梢の色が紫色にぼうと煙つたやうに見える。畑の間を縫ふ小道の傍の處々に黄ばんだ榛の樹の梢も美しい。
丘の上へ登つて見ようと思つて道を搜して居ると池の樣なものゝ傍に出た。漣一つ立たない池に映つた丘の森の色も又なく美しいものである。汀に茂る葭の斷間に釣をして居る人があつた。私の近づく足音を聞くと振返つて何だかひどく落ち付かぬ風を見せた。もし此の池で釣魚をする事が禁ぜられてゞも居るか、さうでないとすれば、此の人は矢張り自分の樣なたち[#「たち」に傍点]の、云はゞ据りの惡い[#「据りの惡い」に傍点]良心をもつた人間だらうと思はれた。そして惡い事をして居なくても、人から惡い事をして居ると思はれはしないかと思ふと同時に、實際惡い事をして居ると同じ心持になるといふたち[#「たち」に傍点]の男かも知れないと思つた。そして同病相憐む心から私は急いで其處を通り過ぎねばならなかつた。
漸く丘の下の往還に出ると、丁度其處から登る坂道があつた。登りつめると綺麗な芝を植ゑた斜面から玉川沿の平野一面を見晴す事が出來た。併し其れよりも私の眼を牽いたのは、丘の上の畑の向側に※[#「柿」の正字、第3水準1−85−57]の大木が幾本となく並んで其の葉が一面に紅葉して居るのであつた。其向ふは一段低くなつて居ると見えて※[#「柿」の正字、第3水準1−85−57]の梢の下にある家の藁葺屋根だけが地面にのつかつて居るやうに見えて居た。此處で畫架を立てゝ二時間餘りを無心に過した。
崖を下りて停車場の方へ行く道傍には清らかな小流が音を立てゝ流れて居た。小川の岸に茂る色々の灌木はみんなさま/″\の秋の色彩に染められて居た。小川と丘との間の一帶の地に、別莊らしい家が處々に建つて居る。後には森を背負ひ、門前の小川には小橋がかゝつて居る、何となしに閑寂な趣のある好い土地だと思ふ。併し此の小川の流が衞生の方から少し氣になる點もあると思つた。
電車は小學校の遠足のかへりで一杯であつた。據なく車掌臺に立つて外を見て居ると、或る切通しの崖の上に建てた立派な家の庇が無殘に暴風に毀されて其儘になつて居るのが目についた。液體力學の教へる處ではかういふ崖の角は風力が無限大になつて壓力のうんと下がらうとする處である。液體力學を持出す迄もなく、かういふ處へ家を建てるのは考へものである。しかし或は家の方が先に建つて居たので切通しの方が後に出來たかも知れない。さうだとすると電車の會社は此の家の持主に明白な損害を直接に與へたものだといふ事が科學的に立證される譯である。此れによく似た場合は物質的のみならず精神的の各方面にも到處にあるが損害をかけた人も受けた人も全然其場合の因果關係に心付かない事が多いやうに思はれる。其のおかげで吾々は枕を高くして眠つて居られる。そして言論や行動の自由が許されて居る。春秋の筆法が今は行はれないのであらう。さうでなければこんな事もうつかりは云はれない。
世田ヶ谷近くで將校が二人乘つた。大尉の方が少佐に對して無雜作な言語使ひでしきりに話しかけて居た。少佐は多く默つて居た。其の少佐の胸のボタンが一つはとれて一つはとれかゝつて居るのが始終私の氣にかゝつた。
同乘の小學生を注意して見ると、勿論みんな違つた顏であるが、其れで居て妙にみんなよく似た共通の表情がある。軍人を見てもやつぱりさうであるらしい。此れがどうしてさうなるかを突きと
前へ
次へ
全9ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング