いう懸念があった。
ことしの秋になって病気のぐあいがだいぶよくなったし、医者も許しまたすすめてくれたので、どこかへためしに行ってみようと思うと、あいにくなもので時候はずれの霖雨《りんう》がしばらくつづいて、なかなか適当な日は来なかった。やっと天気がよくなって小春の日光の誘惑を感ずるころには、子供が病気になっていてどうもそういう心持ちになれなかった。
十月十五日。朝あまり天気が朗らかであったので急に思い立って出かける事にした。このあいだM君と会った時、いつかいっしょに大宮《おおみや》へでも行ってみようかという話をした事を思い出して、とにかく大宮まで行ってみる事にした。絵の具箱へスケッチ板を一枚入れて、それと座ぶとん代わりの古い布切れとを風呂敷《ふろしき》で包み隠したのをかかえて市内電車で巣鴨《すがも》まで行った。省線で田端《たばた》まで行く間にも、田端で大宮行きの汽車を待っている間にも、目に触れるすべてのものがきょうに限って異常な美しい色彩で輝いているのに驚かされた。停車場のくすぶった車庫や、ペンキのはげかかったタンクや転轍台《てんてつだい》のようなものまでも、小春の日光と空気の魔
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