ないし自画像などは寒い時のために保留するというような気もあって、暖かいうちはなるべく題材を戸外に求める事に自然となってしまった。もっとも戸外と言ってもただ庭をあちらから見たりこちらから見たり、あるいは二階か近所の屋根や木のこずえを見たところなど、もしこれがほんとうの画家ならば始めからてんで相手にしないようなものを、無理に拾い出し、切り取っては画布に塗り込むのであった。それだから、どの絵にもどの絵にも同じ四《よ》つ目垣《めがき》のどこかの部分が顔を出していたり、同し屋根がどこかに出っ張ったりしている事になるのは免れ難い。
 それでも私にとってはやはりおもしろくない事はなかった。たとえば四《よ》つ目垣《めがき》でも屋根でも芙蓉《ふよう》でも鶏頭《けいとう》でも、いまだかつてこれでやや満足だと思うようにかけた事は一度もないのだから、いくらかいてもそれはいつでも新しく、いつでもちがった垣根や草木である。おそらく一生かいていてもこれらの「物」に飽きるような事はあるまいと思う。かく事には時々飽きはしても。
 展覧会などで本職の画家のかいた絵を見ると、美しい草木や景色や建築物やが惜しげもなく材料に使
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