く生れて以来かつて経験した事のない異常な官能行使の要求に応じるに忙しくて、身に迫る危険を自覚し、そうして逃走の第一歩を踏出すだけの余裕もきっかけもないのであろう。ともかくも運命の環は急加速度で縮まって行って、いよいよ矢頃《やごろ》はよしという瞬間に、要太の突き出した叉手網《さであみ》はほとんど水平に空《くう》を切って飛んで行く。同時にばたばたと飛び立った胸黒はちょうど真上に覆いかかった網の真唯中《まっただなか》に衝突した、と思うともう網と一緒にばさりと刈田の上に落ちかかって、哀れな罪なき囚人はもはや絶体絶命の無効な努力で羽搏《はばた》いているのである。飛ぶがごとく駈け寄った要太の一《ひ》と捻《ひね》りに、この小さな生命はもう超四次元の世界の彼方に消えてしまったのであった。
「鴫突き」を実見したのは前後にただこの一度だけであった。のみならず、その後にもかつて鴫突きの話を聞いた事さえない。従って現在高知にそういう狩猟法が残存しているかどうか、また高知以外の日本のどの地方に過去現在のいずれかに同様なものが行われて来たかどうか、ということについても全然なんらの知識も持合わせていない。しかし、そ
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