鴫つき
寺田寅彦

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)別役《べっちゃく》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)五、六|間《けん》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)蜻※[#「虫+廷」、第4水準2−87−52]《とんぼ》

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ばさ/\
−−

 別役《べっちゃく》の姉上が来て西の上《あが》り端《はな》で話していたら要太郎が台所の方から自分を呼んで裏へ鴫《しぎ》を取りに行かぬかと云う。自分はまだ一度も行った事がないが病後の事であるからと思うて座敷で書見《しょけん》をしている父上に行ってもよう御座いましょかと聞くと行くはよいが傘をさして行けとの事であったから、帽をかぶってわるい方の蝙蝠傘《こうもりがさ》を持って裏門へまで行くと、要太郎はもう網をこしらえて待っていた。「別役の精《せい》様がこないだから連れて行てくれい云いよりましたがのうし。」「そうかそれでは呼んで来い」とて下女をやった。間もなく来たから連れ立って裏門を出た。バッタが驚いて足下から飛び出した。「いくら汚れてもよいように衣物《きもの》を着換えて来たね。」精は無言でニコニコしている。足には尻の切れた草履《ぞうり》をはいている。小川を渡って三軒家《さんげんや》の方へ出る。あちこちに稲を刈っている。畔《あぜ》に刈穂を積み上げて扱《こ》いている女の赤い帯もあちらこちらに見える。蜻※[#「虫+廷」、第4水準2−87−52]《とんぼ》が足元からついと立って向うの小石の上へとまって目玉をぐるぐるとまわしてまた先の小石へ飛ぶ。小溝に泥鰌《どじょう》が沈んで水が濁った。新屋敷の裏手へ廻る。自分と精とは一町ばかり後をついて行く。北の山へ雲の峰が出て新築の学校の屋根がきらきらしているが風は涼しい。要太郎が手を上げたから余等は立止って道にしゃがんだ。久万川《くまがわ》の土手に沿うた一丸の二番稲があってその中に鴫が居ると見える。網を斜めに下向けてしきりにねらっている。自分等も息を殺して見ているとたちまち頭の上でばさ/\と音がする。蜻※[#「虫+廷」、第4水準2−87−52]《とんぼ》が傘にとまっていたのが外《ほか》のとん
次へ
全3ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング