ぼと喰い合って小溝へ落ちそうにしてぷいと別れた。溝からの太陽の反射で顔がほてるような。要太郎はやはりねらいながら田を廻っている。どうも鴫は居ぬらしい。後の方でダーダーと云う者があるからふりかえると、五、六|間《けん》後の畔道《あぜみち》の分れた処の石橋の上に馬が立っている。その後についているのは十五、六の色の黒い白手拭を冠《かぶ》った女の子であった。馬はどっちへ行こうかと云う風で立止っていると、女の子は馬の腹をくぐって前へまわってまたダーダーと云いながら新屋敷の方へ引いて行った。鴫はやっぱり見えぬらしい。要太郎も少しだれ気味で網を高く上げて振るとバタ/\と一羽飛び出して堤を越して見えなくなった。要太郎の指をさす通りにグサ/\と下駄の踏み込む畔を伝って土手へ上ると、精の足元からまた一羽飛び出して高く舞い上がった。二、三度大廻りをして東の方へ下りた。「何処《どこ》へ下りましたぞのうし。」「アソコに木が二本あるネー。あの西の方に桑があるだろう。あの下あたりのようだ。」要太郎は黙って堤を下りて行った。堤には一面すすき野萩《のはぎ》茨《いばら》がしげって衣物にひっかかる。どう勘違いしたのか要太郎はとんでもない方へ進んでいる。声を掛けようかと思ったが鳥を驚かしてはならぬと思うて控えていると果然|鴫《しぎ》は立った。要太郎は舌打ちをしたと云う風であったが此方《こっち》を見て高く笑うた。そして二本並んだ木蔭へ足を投げ出して坐って吾等を招いた。「ドーダネ。マー一服やって縁起を直しては。巻煙草をやろか。」「ヤーありがとございます――。昨日は私の小さい網で六羽取りましたがのうし。」今に手並を見せると云う風で。
 野菊が独り乱れている。「精ドーダ面白いか。」「あつい」と云いつつ藁帽をぬいで筒袖で額を撫《な》でた。「サーそろそろ行きましょう。モット下へ行って見ましょ。」小津《おず》神社の裏から藪ふちを通って下へ下へと行く。ところどころ籾殻《もみがら》を箕《み》であおっている。鶏は喜んであっちこちこぼれた米をひろっている。子供が小流で何か釣っている。「鮒《ふな》か。」「ウン。」精の友達らしい。いつの間にか要太郎が見えなくなったと思うていると遥か向うの稲村《いなむら》の影から招いている。汗をふきふきついて行った。道の上で稲を扱《こ》いている。「御免なさいよ。」「アイ御邪魔でございます。」実際邪魔
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