祝する座員ばかりの水入らずの宴会の席で、ポーラがふざけて雌鶏《めんどり》のまねをして寄り添うので上きげんの教授もつり込まれて柄にない隠し芸のコケコーコーを鳴いてのける。その有頂天の場面が前にあるので、後に故郷の旧知の観客の前で無理やりに血を吐く思いで叫ばされるあのコケコーコーの悲劇が悲劇として生きてくるのではないかと思う。しかしこの芝居にはそんな因縁は全然省略されているから、鶏のまねが全く唐突で、悪どい不快な滑稽味《こっけいみ》のほうが先に立つ。
 映画と芝居は元来別物であるから、映画のまねは芝居ではできない。そのかわりまた芝居でなくてはできないこともある。それをすればおもしろいであろうが、この芝居では映画のいいところを大略もぎ取ってしまって、それに代わるいいものを入れるのを忘れているように思われた。そうしてせっかく新たに入れたものにはどうも蛇足《だそく》が多いようである。たとえば、最後の幕で、教授が昔なつかしい教壇の闇《やみ》に立ってのあのことさらな独白などは全くないほうがいい。また映画ではここでびっこの小使いが現われ、それがびっこをひくので手にさげた燭火《しょくか》のスポットライト
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