という気もする。いったい二十世紀の文明国と名乗る国がらからすれば、内閣に一人や二人のしかるべき科学大臣がいてもよさそうであり、国防最高幹部にすぐれた科学者参謀の三四人がいても悪いことはなさそうに思えるのであるが、これも畢竟《ひっきょう》は世の中を知らぬ老学究の机上の空想に過ぎないのかもしれない。
十四 おはぐろ
自分たちの子供の時分には既婚の婦人はみんな鉄漿《おはぐろ》で歯を染めていた。祖母も母も姉も伯母《おば》もみんな口をあいて笑うと赤いくちびるの奥に黒耀石《こくようせき》を刻んだように漆黒な歯並みが現われた。そうしてまたみんな申し合わせたように眉毛《まゆげ》をきれいに剃《そ》り落としてそのあとに藍色《あいいろ》の影がただよっていた。まだ二十歳にも足らないような女で眉を落とし歯を染めているのも決して珍しくはなかった。そうしてそれが子供の自分の目にも不思議になまめかしく映じたようである。
今でもおはぐろのにおいを如実に思い出すことができる。いやなにおいであったがしかしまた実になつかしい追憶を伴なったにおいである。
台所の土間の板縁の下に大きな素焼きの土瓶《どびん》の
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