えるとかいう種類の空想はそうにわかに否定することのできない種類に属する。しかし「不可視人間」の空想はこれとはよほど趣を異にしている。
いったい「物体」が存在するということは、換言すれば、その物体と周囲との境界面が存在するということである。物体が認識され、物と物、物とエネルギーとの間に起こる現象が知覚されるのはやはりこの境界面があるからである。この事は、物理学で「場《フィールド》」の方程式だけでは具体的の現象が規定されず、そのほかに「境界条件」を必要とする、という事に相当する。
それほど一般的な議論をするまでもなく、あらゆる生物の生活現象は、生物を構成するコロイドの粒子や薄膜の境界において行なわれる物理的化学的現象ときわめて密接な関係があるということは現在では周知の事実である。言い換えれば、異質異相の境界面の存在しない所には生命は存在し得られないのである。ところが、そういう境界面があるということは一方において「可視」ということと密接に結びつけられている。少しのチンダル効果さえ示さない全く不可視な固体コロイドは考えられないとすれば、「不可視人間」もまた考えられなくなる道理である。
以
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