に対しておこっているのをその父親が発見してひどくびっくりし、そうしてまた非常に恐ろしくなったのだそうである。
 こういう話を聞いてひどく感心したことがある。つまらない笑い話のようで実はかなり深刻な人間心理の一面を暴露していると思う。こんなのも何かの小説の種にはならないものかと思う。
 それはとにかく、正月をめでたいという意味が子供の時分から私にはよくわからなかったが、年を取ってもやはりまだ充分にはわからない。少なくも自分の場合では正月というととかくめでたからぬことが重畳して発生するように思われるのである。のみならず平日ならそれほどにも感じないような些細《ささい》なめでたからぬことが、正月であるがために特にふめでたに感ぜられる。これはおそらくだれでも同様に感じることであろう。たとえば小さい子供がおおぜいあるような家ではちょうど大晦日《おおみそか》や元日などによくだれかが風邪《かぜ》をひいて熱を出したりする。元旦《がんたん》だからというのでつい医者を呼ばなかったばかりに病気が悪化するといったような場合もありうるであろう。
 高等学校時代のある年の元旦に二三の同窓といっしょに諸先生の家へ年始
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