不可視ではない。それどころか、たとえ小粒でも適当な形に加工|彫琢《ちょうたく》したものは燦然《さんぜん》として遠くからでも「視《み》える」のである。これはこれらの物質がその周囲の空気と光学的密度を異にしているためにその境界面で光線を反射し屈折するからであって、たとえその物質中を通過する間に光のエネルギーが少しも吸収されず、すなわち完全に「透明」であっても立派に明白に顕著に「見える」ことには間違いなく、見えないわけにはどうしてもゆかないのである。
反対に不透明なものでもそれが他の不透明なものの中に包まれていれば外からは「不可視」である。
こう考えてみると「透明人間」という訳語が不適当なことだけは明白なようである。
そこで、次に起こった問題はほんとうに不可視な人間ができうるかどうかということであった。ウェルズの原作にはたしか「不可視」になるための物理的条件がだいたい正しく解説されていたように思う。すなわち、人間の肉も骨も血もいっさいの組成物質の屈折率をほぼ空気の屈折率と同一にすれば不可視になるというのである。びん入りの動物標本などで見受けるように、小動物の肉体に特殊な液体を滲透《しん
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