り醜くないような子をそろえている。それらのだいたい同じくらいの年ごろの女の子が皆同じ制服を着ているからちょっと見ると身長の差別と肉づきの相違ぐらいしか目につかないようである。
 制服というものはある意味では人間の個性を掩蔽《えんぺい》するものである。少し離れて見れば一隊の兵士は同じ鋳型でこしらえた鉛の兵隊のように見える。しかし食堂女給のような場合にもまた逆に服装が同一であるために個人の個性がかえって最も顕著に示揚されるようにも見える。清長《きよなが》型、国貞《くにさだ》型、ガルボ型、ディートリヒ型、入江《いりえ》型、夏川《なつかわ》型等いろいろさまざまな日本婦人に可能な容貌《ようぼう》の類型の標本を見学するには、こうした一様なユニフォームを着けた、そうしてまだ粉飾や媚態《びたい》によって自然を隠蔽《いんぺい》しない生地《きじ》の相貌《そうぼう》の収集され展観されている場所にしくものはないようである。
 容貌《ようぼう》のタイプということと美醜とは必ずしも一致しないようである。たとえばキャサリン・ヘプバーン型の美人と醜婦を一人ずつ捜し出すのなどははなはだ容易であろう。
 食堂の女給の制服
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