とまではわかっているが、この波形の波長を何が決定するかという肝心な問題は、今日でもほとんど昔のままに残されているようである。この現象は単に上を流れる流体のみならず、地盤となる砂や泥《どろ》の形質にもよるらしいから、問題は決してそう簡単でないであろう。
 これと密接な関係のあるものは、クントの塵像《じんぞう》である。これに関する周知のケーニヒの説明の不十分なことはだれしも同感であったらしい。最近に、アンドラーデがこの問題についてやや新しい実験をして、いろいろおもしろい事実を観察したようではあるが、ここでも肝心な波長決定要素の問題は依然として不可解に残されている。
 もう一つ、これは未発表のものであるが、北海道大学理学部の米田勝彦《よねだかつひこ》氏が現に研究を続けている「粉の波」の現象がある。たとえば、二枚のガラス板の間に或《あ》る粉の円形薄層をはさんで、上の板を棒の先で軽くこつこつとたたくと粉の表面にきれいな同心環形状の波形ができるのである。この波がクント像の波形と何かしら関係がある現象であろうとはだれしも想像することであろうが、精確な説明はそう容易には与えられない。
 クラドニ板上のいろいろの像や、高周波振動をする水晶板で生ずる粉の像などにもやはり共通な問題が潜んでいるらしい。
 要するにこれらの問題の基礎には「粉」という特殊な物の特性に関する知識が重大な与件として要求されるにもかかわらず、それがほとんど全く欠乏している。そうしてただ現象の片側に過ぎない流体だけの運動をいくら論じてみても完全な解釈がつきそうにも思われない。粉状物質の堆積《たいせき》は、ガスでも、液でも、弾性体でもない別種のものであって、これに対して「粉体力学」があるはずである。近ごろ、土壌《どじょう》の力学に関連してだいぶこの方面が理論的にも実験的にも発達して来たようではあるが、それはしかしほとんど皆静力学的のものであって、「粉体の運動」に関する研究は皆無と言っても過言でない。この新しい力学の領域に進入する一つの端緒としても上記のごとき諸現象の研究は独自な重要意義をもつであろう。いずれにしても、そういう見地に立ってでなければいくら研究してみてもこれらの問題の全豹《ぜんぴょう》は明らかになりそうに思われない。
 粉の輪で思い出すのは、蒸発皿《じょうはつざら》である種の塩類の溶液を煮詰めて蒸発させる時に、溶液の干上《ひあ》がるに従って、液面が周囲の器壁に接する境界線の所に、粉状の塩の土手ができる。それがやはり週期的な同心環の系列となって成長して行く現象が知られている。この場合はクントや米田《よねだ》氏の現象のように器械的振動は別に参与していると思われない。この際器壁に沿う気流があるから、あるいはここでも一種の渦動《かどう》が関係するかとも想像されるが、もしそれだけならば、大概の塩について同様でありそうなのに、特殊な塩に限って顕著であることから考えると、これはもっと分子物理学的または化学的領域の中にまで立ち入らなければならないような種類の現象であるかもしれない。
 そういう科学的な週期的形像中の最も顕著なもので、従来はなはだ多くの研究の対象となったものは、いわゆるリーゼガングの現象である。これに関してはかなりいろいろな説明的理論も提出されておりはするが、一言で言ってしまえば、要するにほとんどまだ目鼻もつきかねたようなありさまであるらしい。ともかくもこの現象は拡散に随伴する週期的現象である。言わば√−1[#「√」の中に「−1」]を含むイマジナリーな部分から成る拡散現象であるとも言われる。おもしろいことには、また一方で、自然界に存する実際のすべての波動はやはり「虚成分」をもっていて、これが減衰を支配し、ある意味ではまた拡散をも意味する。それで、もしや、拡散も波動も概括するような一つの大きな体系があって、その両極端の場合が不減衰波動と純粋な拡散とであって、その中間にいろいろなものが可能でありはしないかという空想が起こり得られる。ずっと昔、ケルヴィン卿《きょう》が水の固定波か何かの問題を取り扱うために伝導の式に虚の項を持ち込んだことがあったようなぼんやりした記憶があるが、事実は確かでない。しかしとにかくそういう種類の考えも、少なくも一つのヒントとしては役立つであろうと思うので、不謹慎のそしりを覚悟してついでに付記する次第である。
 週期的ではないが、リーゼガング現象といくぶん類似の点のあるのは、モチの木の葉の面に線香か炭火の一角を当てるときにできる黒色の環状紋である。これについては現に理化学研究所|平田《ひらた》理学士によって若干の実験的研究が進行しているが、これもやはり広義の拡散的漸進的現象に伴なう、不連続的あるいは局発現象であって、従来有りふれの単純な拡散の理論だけで
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