す事には多くの科学者も異論はないであろうが、それだけでは「時」の観念の内容については何事も説明されない。近ごろベルグソンが出て来て、カントや科学者の考えた「時」というものは「空間化された時」であって「純な時」というものがほかにあると考え、彼のいわゆる形而上学の重要な出発点の一つとしているようである。それらの議論はむつかしすぎて自分にはのみ込めないが、とにかくわれわれが力学や物理学で普通に用いる時の概念は空間の概念を拡張したものだという事は疑いもない事である。力学はつまり幾何学の拡張である。空間座標のほかに時を入れれば運動学が成立し、これに質量を入れて経験の結果を導入すれば力学ができる。これらの数学的の式における時間tが空間 x y z とほとんど同様に取り扱われうる事はミンコフスキーの四元空間 Welt の構成されるのを見てもわかる事である。
 このように時を空間化して取り扱ったために得られる便利は多大なものであるが、しかし人間の直感する「時」の全部はtの符号に含まれていない。
 ニュートンの考えたような、現象に無関係な「絶対的の時」はマッハによって批評されたのみならず、輓近《ばんきん
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