時の観念とエントロピーならびにプロバビリティ
寺田寅彦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)輓近《ばんきん》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)ungeordnet[#「ungeordnet」は底本では「ungecrdnet」]
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 時の観念に関しては、哲学者の側でいろいろ昔からむつかしい議論があったようである。自分はそれらの諸説について詳しく調べてみる機会を得ないが、簡単な言葉でしかもそれ自身すでに時の概念を含んでいないような言葉で「時」に定義を下そうというような企てはたいてい失敗に帰しているようである。「一様に流れる量」であるとか、「逸しつつある広がり」だとかいうのはもちろん時の定義でもなければ説明とも思われぬ。Si non rogas intelligo というほうが至当のようである。時の前後の観念はとにかく直感的なものであって、なんらかの自然現象に関して方則を仮定する事なしに定義を下しうべき性質のものではないと思われる。
 吾人が外界の事象を理解し系統化するための道具として、いわゆる認識の形式の一つとして「時」を見な
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