たので、やっとそれが明治四十二年すなわち自分の外国留学よりは以前のことであって帰朝後ではなかったことがわかった。なぜかというと、洋行前にはそんなハイカラな食物などは存在さえも知らなかったのを洋行帰りのN先生からはじめて教わりごちそうになり、それと同時にいろいろと西洋の話などをも聞かされた。そのためにこれらの食物と、まだ見ぬ西洋へのあこがれの夢とが不思議な縁故で結びついてしまったのであった。一日山上で労働して後に味わったそれらの食物のうまかったことは言うまでもない。
そのテント生活中にN先生に安全|剃刀《かみそり》でひげを剃《そ》ってもらったのを覚えている。それは剃刀が切れ味があまりよくなくて少し痛かったせいもあるが、それまで一度も安全剃刀というものの体験をもたなかったためにそれがたいそう珍しく新しく感じられたせいもあるらしい。その剃刀が先生のゲッチンゲン大学時代に求めた将来ものだというのでいっそう感心したものらしい。
とにかく、もし自分の留学後だったらバン・フーテンや安全剃刀にも別に驚かなかったはずであるから、それでこの三原山生活の年代の決定が確実にできたわけである。
このときの
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