な関係がかくされているのではないかと思われる。

       二

 いつか夏目先生生前のある事がらについて調べることがあって小宮《こみや》君と自分とでめいめいの古い日記を引っぱり出して比べたことがあった。そのとき気のついたのは自分の日記にはとかく食いものの記事が多いということであった。先生とどこで何を食ったというようなことがやたらに特筆大書されているのである。
 自分の子供たちのうちにも、古い小さい時分の出来事をその時に食った食物と連想して記憶しているという傾向の著しく見えるのがいる、どうも親爺《おやじ》の遺伝らしいということになっているのである。
 近ごろ、夕飯の食卓で子供らと昔話をしていたとき、かつて自分がN先生とI君と三人で大島《おおしま》三原山《みはらやま》の調査のために火口原にテント生活をしたときの話が出たが、それが明治何年ごろの事だったかつい忘れてしまってちょっと思い出せなかった。ところが、その三原山《みはらやま》行きの糧食としてN先生が青木堂《あおきどう》で買って持って行ったバン・フーテンのココア、それからプチ・ポアの罐詰《かんづめ》やコーンド・ビーフのことを思い出し
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